自己理解を続けていたら、なぜかブランド分析ができるようになった話

最近、B型でYouTubeチャンネルの分析をする機会があった。

私は軽い気持ちだった。

動画を見て気づいたことをまとめよう。

そのくらいだった。

ところが気づいたら、

動画分析ではなくブランド戦略会議になっていた。

代表は動画の改善点を探していた。

私は違うところを見ていた。

「このチャンネルのキャラ設定って何ですか?」

そんな話になった。

すると代表がのけぞった。

本当にのけぞった。

どうやら何ヶ月も悩んでいたことだったらしい。

後から聞くと、

その日の夜に見たYouTubeコンサルの動画でも、

私と同じような話をしていたらしい。

そこで代表に聞かれた。

「どうやって分析してるんですか?」

私は答えた。

「ChatGPTと壁打ちしてます」

もちろんそれも本当だ。

でも後から思った。

それだけじゃない。

本当の答えは、

自己理解をやり続けてきたからかもしれない。

私は昔から人を観察するのが好きだった。

なぜその人はそう考えるのか。

なぜその人はそう行動するのか。

何を大切にしているのか。

何を怖がっているのか。

そういうことを考えていた。

そして一番観察していたのは、

自分自身だった。

なぜ私は不安になるのか。

なぜ安心するのか。

なぜこの人が好きなのか。

なぜこの仕事が苦しいのか。

何年もそんなことを考えてきた。

だから動画を見ても、

動画だけを見ない。

編集を見る前に、

人を見る。

構成を見る前に、

感情を見る。

再生数を見る前に、

登録理由を見る。

だから今回も、

動画分析をしているつもりだったのに、

気づけばキャラ設定の話になっていた。

私は動画を見ていたのではない。

人を見ていたのだ。

そして気づいた。

自己理解は、

自分を知るためだけの技術ではない。

人を理解する技術でもある。

ブランドを理解する技術でもある。

コンテンツを理解する技術でもある。

ずっと自己理解だと思っていたものは、

実は観察力や構造化能力のトレーニングだったのかもしれない。

私はまだ研究途中だ。

でも一つだけ分かったことがある。

今まで積み重ねてきた自己理解は、

無駄じゃなかった。

むしろ気づかないうちに、

別の場所でも使えるスキルになっていた。

だからもし今、

自己理解ばかりしていて意味があるのか不安な人がいたら伝えたい。

自己理解は、

自分を理解するためだけのものじゃない。

いつか誰かを理解する力になり、

何かを分析する力になり、

思わぬ場所で役に立つ日が来るかもしれない。

少なくとも私は、

YouTubeのブランド分析でそれを知った。