
高校の倫理の授業でソクラテスを習ったとき、私は結構衝撃を受けた。
もちろん、
「古代ギリシャの哲学者です」
とか、
「問答法を使いました」
とか、
そういう知識の話ではない。
私が衝撃を受けたのは、
「私と同じことをしてる人が古代ギリシャにいた!!!」
ということだった。
—
ソクラテスはひたすら質問する。
「なぜそう思うのですか?」
「それは本当に正しいのですか?」
「そもそも〇〇とは何ですか?」
みたいなことを聞き続ける。
普通に考えたらめんどくさい人である。
でも私は思った。
「仲間じゃん。」
と。
—
私は昔から、当たり前をそのまま受け取るのが苦手だった。
みんながそう言っているから。
常識だから。
普通だから。
そう言われても、
「なんで?」
が先に来る。
別に反抗したいわけではない。
ただ純粋に気になるのだ。
—
最近もテレビの話をしていて気づいた。
私はテレビがあまり好きではない。
ニュースを見ても、
「大変ですね」
「今後の対策が求められます」
みたいなコメントが多い。
すると私は思う。
「それは私でも分かるやろ。」
と。
私が知りたいのは、
その人がどう考えているのかだ。
なぜそう思ったのか。
どういう視点で見ているのか。
その人なりの解釈が聞きたい。
—
そう考えると、私は情報が欲しいわけではないのかもしれない。
欲しいのは視点だ。
答えではなく、考え方だ。
結論ではなく、そこに至る過程だ。
—
だから私は長時間インタビューが好きだ。
雑談配信も好きだ。
ラジオも好きだ。
人の思考が見えるから。
完成品ではなく、制作過程が見えるから。
—
ただ、ソクラテスと私には一つ違いもある気がする。
ソクラテスは、
「なぜそう思うのですか?」
と聞く人だ。
私はたぶん、
「私はこう思います。あなたは?」
と聞く人だ。
—
もし本当にソクラテスと喫茶店で会えたらどうなるだろう。
たぶん閉店まで帰らない。
いや、閉店後も店の前で話している気がする。
—
ソクラテス
「なぜあなたは私に会いたいと思ったのですか?」
私
「その話、一日使えますけど聞きます?」
ソクラテス
「ぜひ。」
私
「長いですよ?」
ソクラテス
「構いません。」
—
そして数時間後。
結論は出ていない。
何も解決していない。
でも二人とも満足して帰る。
そんな気がする。
—
ソクラテスを知ったときの衝撃は、
哲学を学んだからではなかった。
「私だけじゃなかったんだ。」
そう思えたことだった。
2500年前にも、
当たり前を疑って、
問いを楽しんで、
考えることそのものを面白がっていた人がいた。
それがなんだか嬉しかった。
—
だから今でも私は思う。
もし会えるなら、一度会ってみたい。
そして聞いてみたい。
「最近、何考えてるんですか?」
と。
たぶんそこから、また閉店まで帰れなくなる。