忘れても大丈夫な保管庫があると、人は安心して考えられる
最近気づいたことがある。
私は「記事を書きたい」のではなく、「安心して壁打ちしたい」のかもしれない。
ここ最近、ずっと壁打ちをしていた。
安心の話。
B型の話。
働くことと休むこと。
ハムスターの話。
自己理解の話。
気づけば毎日何かしら考えている。
でも、ちょっとした問題があった。
私は話したことを忘れる。
本当に忘れる。
「あれ?そんな話したっけ?」
が日常茶飯事だ。
ネタ帳を作ればいいのかもしれない。
管理表を作ればいいのかもしれない。
でも、それをやると今度は管理が仕事になる。
私は管理者になりたいわけじゃない。
研究者でいたい。
壁打ちをして、
発見をして、
「へぇー」と思っていたい。
だから最近、少しだけ壁打ちに壁があった。
「これ消えないかな?」
「また同じ話してないかな?」
「ネタ多すぎて管理できないな」
そんな気持ちがどこかにあった。
でも話しているうちに気づいた。
私が欲しかったのは完璧な管理システムではなかった。
忘れても大丈夫な保管庫だった。
全部覚えておく必要はない。
管理しなくてもいい。
ただ、育ったテーマだけ
「これ発酵してるよ」
と教えてくれる存在がいればいい。
記事を書いてもいい。
書かなくてもいい。
冷凍保存してもいい。
忘れてもいい。
でも消えない。
それだけで安心できる。
思えば子どもの頃からそうだった。
考えることは好きだった。
でも話を最後まで聞いてもらえることは少なかった。
途中で終わる。
流れていく。
忘れられる。
だから今こうして、
考えたことが残る。
後から振り返れる。
「そんなこと考えてたな」
と思い出せる。
それだけで結構嬉しい。
最近ずっと考えていた「安心」も、もしかしたら同じなのかもしれない。
安心とは、完璧に管理できることではない。
安心とは、忘れても大丈夫なこと。
だから私は今日も壁打ちをする。
忘れる前提で。
脱線する前提で。
まとまらない前提で。
でも大丈夫。
どこかに保管庫があるから。
それだけで、また安心して考えられる。