私は作品を作りたいんじゃない。作品が生まれ続ける仕組みを作りたい。
最近、就労支援でショート動画の台本を書いている。
気づけば1日に何本も書いていた。
最初は単純に思った。
「あれ、私、台本作るの結構好きかもしれない。」
でも、よく考えたら少し違った。
—
私は台本が好きなのだろうか。
もちろん作るのは楽しい。
テーマを考えて、
共感ポイントを探して、
会話を組み立てて、
最後にオチをつける。
その作業は嫌いじゃない。
むしろ好きだ。
—
でも、もっと面白いことに気づいた。
私がワクワクしていたのは、
台本そのものではなかった。
—
気になっていたのは、
「なんで私はこれを作れたんだろう」
だった。
—
どうやってネタを見つけたのか。
どうやって構成を考えたのか。
どうやったら次も作れるのか。
どうしたら量産できるのか。
どうしたら再現できるのか。
そんなことばかり考えていた。
—
そこで気づいた。
私は作品を作ることより、
作品が生まれる仕組みの方に興味があるのかもしれない。
—
思い返せば昔からそうだった。
喫茶店で働いていた頃も、
仕事をするだけでは終わらなかった。
どうしたら回るだろう。
どうしたら効率化できるだろう。
どうしたらみんなが楽になるだろう。
そんなことを考えていた。
—
配信もそうだった。
配信することより、
どういう枠なら居心地が良いのか。
どういう運営なら続くのか。
そっちが気になっていた。
—
noteもそう。
記事を書くこと以上に、
ネタをどう保存するか。
どう熟成させるか。
どう整理するか。
そんなことを考えている。
—
だから私は、
作品を作る人というより、
工房を作る人なのかもしれない。
—
工房には材料がある。
日常で拾ったネタ。
恋愛の話。
仕事の話。
自己理解の話。
ハムスターの話。
なんでもいい。
—
それを集めて、
整理して、
構造化して、
台本にしたり、
noteにしたりする。
—
そして完成した作品よりも、
その流れが回り続けることの方が嬉しい。
—
ネタが来る。
考える。
整理する。
作る。
保存する。
また新しいネタが来る。
—
私はたぶん、
この循環が好きなのだ。
—
だから最近、
台本を書いていて思う。
「もっと書きたい。」
でもそれは、
仕事時間を増やしたいという意味ではない。
もっとたくさん作品を作りたいという意味でもない。
—
たぶん私は、
このサイクルを回したいのだ。
—
作品は結果として生まれる。
でも私が本当に作りたいのは、
作品そのものではなく、
作品が自然と生まれ続ける仕組みなのかもしれない。
そして振り返ると、
私はずっとそれを作ってきた気がする。
気づいていなかっただけで。