安心を探し続けたら、生き方が変わった

私は昔から、ずっと安心を探していた。

でも当時は、その探し方を少し間違えていた気がする。

安心したいから頑張る。

安心したいから評価されようとする。

安心したいから正解を探す。

安心したいから将来を考える。

安心したいから人の顔色を見る。

そんなふうに生きていた。

今思うと、私は「安心」を手に入れるために走り続けていたんだと思う。

仕事もそうだった。

もっとできるようになれば安心できると思っていた。

ミスを減らせば安心できると思っていた。

周りに認められれば安心できると思っていた。

だから頑張った。

実際、できることも増えた。

任されることも増えた。

頼られることも増えた。

でも不思議だった。

安心はやってこなかった。

できるようになったら、次の課題が見つかる。

評価されたら、次は評価を維持しなきゃいけなくなる。

ゴールだと思っていた場所に着いても、また次のゴールが現れる。

まるで終わりのないゲームみたいだった。

恋愛も少し似ていた。

相手の気持ちが分かれば安心できると思った。

好きになってもらえたら安心できると思った。

連絡が来れば安心できると思った。

でも実際は違った。

返信が来ても気になる。

来なくても気になる。

会えても気になる。

会えなくても気になる。

安心は相手の中にはなかった。

じゃあ、安心って何なんだろう。

最近になって少しだけ分かってきた。

安心は結果じゃない。

状態なんだと思う。

仕事が決まったから安心。

収入が増えたから安心。

恋人ができたから安心。

もちろん、それらは助けになる。

でも、それだけでは足りない。

どれだけ条件が整っていても、不安な人は不安だ。

逆に、完璧じゃなくても穏やかに暮らしている人もいる。

私が本当に欲しかったものは、

「このままでも大丈夫」

と思える感覚だった。

だから最近は、生き方の基準が少し変わった。

正しいかどうか。

すごいかどうか。

評価されるかどうか。

稼げるかどうか。

そういう基準だけでは選ばなくなった。

代わりに、

「安心して続けられるか」

を考えるようになった。

すると不思議なことが起きた。

人生のスピードは少し落ちた。

でも、生きやすさは上がった。

散歩をする。

カフェラテを飲む。

ハムスターを眺める。

誰かと他愛ない話をする。

noteを書く。

考えごとをする。

そんな時間が増えた。

昔の私なら、「こんなことしていて大丈夫かな」と思っていたかもしれない。

でも今は違う。

こういう時間こそが、私を支えていると分かる。

思えば私はずっと、

安心をゴールだと思っていた。

でも違った。

安心は目的地じゃない。

土台だった。

家を建てる前に基礎工事をするように、

人生もまず安心が必要だった。

私はずっと屋根ばかり作ろうとしていたのかもしれない。

立派な屋根。

立派な壁。

立派な看板。

でも土台が揺れていた。

だから苦しかった。

今も安心を探している。

たぶんこれからも探すと思う。

でも昔みたいに焦ってはいない。

安心を探すことは、弱さじゃなかった。

逃げでもなかった。

むしろ、自分らしい生き方を見つけるための旅だった。

そんな気がしている。

安心を探していたつもりが、気づいたら生き方そのものが変わっていた。

最近の私は、そんな変化の途中にいる。🌱

🍱 冷凍保存メモ

このテーマは「安心シリーズ」の中心記事になりそう。

安心は状態である

居場所は流れる

通常営業に戻る

頑張るより続ける

安心を土台にする人生

この辺の記事とも自然につながる一本。今後シリーズ化しても面白いと思う。