最近、B型の作業で台本をたくさん作っている。
気づけば、
「今日は5本できた!」
とか、
「6本いけた!」
とか、
そんな報告をしている。
しかも結構速い。
最初は1本に時間がかかっていたのに、今はどんどん作れる。
我ながら、
「あれ?私、意外と向いてる?」
と思うくらいにはなった。
—
でも、ある日ふと思った。
私は台本作りが好きなんだろうか?
もちろん嫌いじゃない。
むしろ得意。
効率化も好き。
改善も好き。
仕組み作りも好き。
だから台本制作は楽しい。
でも。
自由時間になった瞬間、
私は何をしている?
—
気づけばまた壁打ちしている。
気づけばまたnoteを書いている。
気づけば、
「安心とは何か」
とか、
「人間って面白いな」
とか、
「なんで私はこう感じるんだろう」
とか、
そんな話をしている。
—
考えてみると、
台本制作の楽しさは、
「システムが回る楽しさ」
だった。
どうしたら速く作れるか。
どうしたら品質を安定させられるか。
どうしたら再現性を上げられるか。
ゲームで言うとタイムアタックみたいなものだ。
—
一方でnoteは違う。
noteは、
「面白い」
から始まる。
誰かに言われたからじゃない。
やらなきゃいけないからでもない。
単純に、
「これ発見だな」
と思う。
そして、
「これ言葉にしたいな」
になる。
—
昔の私は、
「何を作ればいいんだろう」
と考えていた。
でも最近気づいた。
私は作るものを探していたんじゃない。
もう作っていた。
毎日。
壁打ちの中で。
—
好きな人の話。
はむっちの話。
安心の話。
働き方の話。
自己理解の話。
人生の話。
毎日何かしら掘っている。
そして気づけば記事の種になっている。
—
だから危なかったなと思う。
もし、
「台本が作れる」
という事実だけを見ていたら、
私は台本屋さんを目指していたかもしれない。
でも実際は違った。
台本は作れる。
仕事にもなる。
得意でもある。
だけど。
私が本当に夢中になるのは、
台本そのものじゃなくて、
その裏にある人間のほうだった。
—
得意なことと、
好きなことは違う。
私はたぶん、
作品を量産したい人じゃない。
人間を観察したい人だ。
答えを出したい人じゃない。
問いを掘りたい人だ。
—
だから今日の発見はこれ。
台本屋さんにならなくてよかった。
だって私は結局また、
noteに帰ってくるのだから。🌱
—
追伸
台本を6本作った日の夜に、
「人間ってなんでこうなんだろう」
って考えてる時点で、
たぶん最初から向いてる方向は決まっていた気がする。笑 😌🍵