結局、自己理解コンテンツを作りたかった。

私は台本を書きたいんじゃなかった。自己理解コンテンツを作りたかった。

最近、自分でも不思議だった。

就労支援でショート動画の台本を書いている。

気づけばどんどん書ける。

1日に何本も作れる。

しかも結構楽しい。

だから最初は思った。

私は台本作りが好きなんだろうな、と。

でも、何か違和感があった。

台本を書くことは楽しい。

でも本当に面白いのは、

その奥にあるものだった。

私は台本の技術に興味があるのだろうか。

構成術に興味があるのだろうか。

もちろんそれもある。

でも、それだけではなかった。

ある日ふと思った。

私はどんなテーマの台本を書いている時が一番楽しいんだろう。

恋愛。

仕事。

人間関係。

自己肯定感。

向いている仕事。

安心。

気づけば全部、

同じ方向を向いていた。

自己理解だった。

恋愛の話をしているようで、

本当は安心の話をしている。

仕事の話をしているようで、

本当はエネルギー源の話をしている。

向いている仕事の話をしているようで、

本当は自分の特性の話をしている。

私はずっと、

人が自分を理解していく過程に興味があった。

思い返せば昔からそうだった。

誰かの答えが知りたいわけではない。

どうやってその答えに辿り着いたのか。

そこに興味があった。

だから私は、

自己理解の結論より、

自己理解の過程が好きだった。

そして気づいた。

私は自己理解を教えたいわけではない。

先生になりたいわけでもない。

診断をする人になりたいわけでもない。

むしろ逆だ。

私も迷っている。

私も分からない。

私も遠回りしている。

だから、

一緒に掘りたい。

一緒に整理したい。

一緒に発見したい。

そのためのきっかけを作りたい。

そう考えると、

台本も、

noteも、

壁打ちも、

全部繋がった。

私は台本を書きたいんじゃなかった。

自己理解のきっかけを作りたかったのだ。

昔の私は、

Google検索をしていた。

夜中に悩んで、

誰かの記事を読んで、

「なるほど」

と思っていた。

救われるほどではない。

人生が変わるほどでもない。

でも少しだけ、

視界が広がる。

そんな記事が好きだった。

今思う。

私が作りたいのも、

きっとそういうものだ。

答えではない。

正解でもない。

ただ、

「もしかしてそうかも」

と思える視点。

「私だけじゃなかったんだ」

と思える言葉。

「ちょっと考えてみようかな」

と思える問い。

そんな小さなきっかけを作りたい。

だから最近、

ようやく分かってきた。

私は台本を書きたいんじゃなかった。

自己理解コンテンツを作りたかったのだ。

そしてそれは、

たぶん誰かのためだけじゃない。

昔の私自身が欲しかったものを、

今の私が作ろうとしているだけなのかもしれない。