私はnoteが書けないんじゃなかった
今日は人との関係について考えていた。
会いたい人がいる。
でも未来なんて分からない。
そんな話から始まった。
ところが気づいたら全然違う話になっていた。
「私、結構いい女だと思うよ?」
という話になり、
「でもプレゼン資料が細かすぎて読むの大変なのかも」
という話になり、
さらに
「新刊が出続ける人間説」
に発展した。
我ながら意味が分からない。
でも妙に納得した。
私は自分でも次の展開が読めない。
そしてそこで気づいた。
私は目的地に向かう人というより、探索する人なのかもしれない。
地図を見て最短ルートで進むより、
面白そうな洞窟を見つけたら入ってしまう。
だから話しているとどんどん別の場所へ行く。
でもよく見ると、ずっと同じテーマを掘っている。
私は何が好きなんだろう。
私は何に安心するんだろう。
人はなぜそう動くんだろう。
話題は変わる。
でもテーマは変わらない。
だから迷子ではなく探索中なのかもしれない。
そんなことを考えていたら、今度は別の疑問が出てきた。
「私、なんでnote書けないんだろう?」
である。
正直、思考量だけなら毎日10本くらい記事が書けてもおかしくないと思っている。
でも書けない。
そこでさらに掘ってみた。
すると衝撃の事実が出てきた。
私は執筆前に満足していた。
そう。
記事を書いて満足していたんじゃない。
記事を書く前に満足していたのである。
テーマを見つける。
構造を理解する。
本質を発見する。
そこでクエストクリアになっていた。
だから本文だけ残る。
そりゃ書けない。
さらに掘る。
するとまた発見があった。
私は書けないんじゃなかった。
思考速度に鉛筆が追いついていなかった。
話していると、
「あれ?」
「なるほど!」
「あっ、それだ!」
が次々に起きる。
鉛筆が止まる。
思考は止まらない。
録音すればいいのかと思ったけど、それも違った。
独り言を録音しても聞き返したくなる録音にならない。
私の場合、対話の中で思考が立体になるらしい。
だから欲しかったのは答えじゃなかった。
思考の同行者だった。
ここでまた問題が出てきた。
じゃあ、この大量の発見どうするの?
毎日10本noteを書く?
無理である。
そこでようやく最後の発見に辿り着いた。
公開と保存は別だった。
私はずっと、
発見する↓記事にする↓公開する
を同時にやろうとしていた。
でも本当は違う。
発見する↓保存する
だけでいい。
記事なんて1年後に公開したっていい。
私が失いたくないのは記事じゃない。
発見の方だ。
そこで誕生したのが業務用冷凍庫である。
発見した。
記事化した。
とりあえず冷凍。
Notionへ。
以上。
公開は気が向いた時でいい。
そう考えたら急に楽になった。
今まで私はnoteが書けないと思っていた。
でも違った。
必要だったのは根性じゃなくて保存システムだった。
結局今日も、人との関係について考えていたはずなのに、最後は発見保存システムの運用設計をしていた。
本当に意味が分からない。
でもたぶん、そういうところなんだと思う。