人生研究報告書 vol.1

「誰かの人生を真似しなくていいと気づくまで」

はじめに

私は何者かにならなければいけないと思っていた

私は長い間、「何者かにならなければいけない」と思っていた。

歌手になりたい。

配信で成功したい。

誰かに認められたい。

そんな気持ちがずっとあった。

もちろん、それ自体が悪いことだったとは思わない。

当時の私は本気だったし、そのおかげで挑戦できたこともたくさんあった。

でも振り返ってみると、私はいつもどこかで「正解の人生」を探していた。

歌手になれば幸せになれるのかもしれない。

有名になれば自由になれるのかもしれない。

好きなことを仕事にできたら理想なのかもしれない。

そんなふうに、まだ見ぬ未来に答えがあるような気がしていた。

だから私は、誰かの人生をたくさん見ていた。

成功している人。

好きなことを仕事にしている人。

自分らしく生きているように見える人。

そして、その人たちの中に自分の正解があるような気がしていた。

でも不思議なことに、調べれば調べるほど苦しくなった。

あの人みたいになれていない。

あの人ほど頑張れていない。

私はまだ何者でもない。

そんな気持ちになることも多かった。

今思えば、私は人生そのものを生きるより先に、「肩書き」を探していたのかもしれない。

歌手。

配信者。

インフルエンサー。

フリーランス。

何でもいいから、自分を説明できる何かが欲しかった。

でも最近になって、少しずつ考え方が変わってきた。

きっかけはたくさんある。

配信をしてみたこと。

歌について考えたこと。

働き方について悩んだこと。

そして、自分自身を観察し続けたこと。

その中で、あることに気づいた。

私は誰かになりたかったのではなく、安心したかったのだ。

何者かになれば安心できると思っていた。

成功すれば安心できると思っていた。

でも本当に欲しかったものは、肩書きではなかった。

私は私のままで安心して生きたかった。

そしてもう一つ気づいたことがある。

私は誰かの人生を真似したかったわけではない。

ただ、自分の人生の作り方が分からなかったのだ。

だから既にあるレールを探していた。

歌手のレール。

配信者のレール。

成功者のレール。

でも今は思う。

レールがないなら、自分で作ればいい。

地味でもいい。

遠回りでもいい。

誰かと同じじゃなくてもいい。

この報告書は、そんなふうに考えるようになるまでの記録である。

誰かの人生を真似しなくていいと気づくまで。

その途中経過を、人生研究員としてまとめてみようと思う。


第一章

「好き」と「職業」は別だった

私は長い間、歌手になりたいと思っていた。

歌うことが好きだった。

人前で表現することも好きだった。

だから自然と、

「歌が好き = 歌手になりたい」

と思っていた。

当時の私にとって、それはごく自然な考えだった。

好きなことを仕事にする。

好きなことで生きていく。

それが理想の人生のように思えた。

でも今振り返ると、私は歌手という職業を理解していたわけではなかった。

私は「歌うこと」が好きだった。

けれど歌手という仕事は、歌うことだけではない。

楽曲制作。

SNS発信。

ファンとのコミュニケーション。

ライブ。

イベント。

宣伝。

そして、自分自身を見られること。

歌手は歌を届ける仕事であると同時に、自分自身も届ける仕事なのだ。

私はそのことをあまり考えていなかった。

むしろ最近になって初めて気づいた。

歌手や配信者を見ていると、歌や作品だけで応援されているわけではない。

人柄。

キャラクター。

見た目。

空気感。

そういうものも含めて愛されている。

もちろん、それは悪いことではない。

むしろ素敵なことだと思う。

でも私はそこで少し立ち止まった。

私は本当にそれを望んでいるのだろうか。

私は歌が好きだ。

今でも好きだ。

これからも歌うと思う。

でも私は、自分自身を商品として見られたいわけではないのかもしれない。

そんなことを考えるようになった。

そして、さらに不思議なことに気づいた。

私は歌について考えている時より、人間について考えている時の方が楽しいのだ。

なぜ人は悩むのか。

なぜ人は安心を求めるのか。

なぜ人は待てるようになるのか。

なぜ人は何者かになろうとするのか。

私は気づけば、そんなことばかり考えていた。

歌手になりたいと思っていたはずなのに、頭の中はいつも人生研究だった。

だから今思う。

私は歌手になりたかったのではない。

少なくとも、歌手という職業そのものを目指していたわけではなかった。

私は歌が好きだった。

でもそれ以上に、人間を観察することが好きだった。

発見することが好きだった。

考えることが好きだった。

そして、その発見を言葉にすることが好きだった。

「歌が好き」と「歌手になりたい」は同じではなかった。

私はその違いを知らなかった。

でも、その違いに気づいたことで、少しだけ自由になれた気がする。

歌を仕事にしなければいけないわけではない。

歌手にならなければいけないわけでもない。

歌は歌のまま好きでいていい。

そのことを受け入れられるようになった時、私は初めて「好きなこと」から自由になれたのかもしれない。


第二章

配信をやって分かったこと

歌手になりたいと思っていた私は、配信にも興味を持った。

配信なら、自分の歌を届けられる。

誰かに見つけてもらえるかもしれない。

そんな期待もあった。

実際に配信を始めてみると、楽しいこともたくさんあった。

歌を聴いてもらえる。

応援してくれる人がいる。

コメントで会話が生まれる。

画面の向こうに誰かがいて、自分の歌や言葉を受け取ってくれる。

それは素直に嬉しかった。

私は配信そのものが嫌だったわけではない。

むしろ、人と話すことも嫌いじゃない。

応援してもらえることもありがたかった。

でも続けていくうちに、少しずつ違和感が生まれた。

私は配信の中で、歌っている時間よりも、

「配信を続けること」

について考える時間が増えていった。

今日は配信した方がいいのかな。

休むと忘れられるかな。

イベントは出た方がいいのかな。

もっと頻度を増やした方がいいのかな。

いつの間にか、歌そのものではなく運営のことを考えていた。

もちろん、それは配信者としては自然なことだと思う。

配信は趣味ではなく活動だからだ。

続けるためには考えなければいけないこともある。

でも私はそこで立ち止まった。

私は本当にやりたいことをやっているのだろうか。

歌うことは好きだった。

でも「配信者として活動すること」が好きなのかは分からなかった。

この違いは思っていたより大きかった。

例えば私はカフェが好きだ。

でもカフェ経営がしたいわけではない。

旅行が好きな人が、旅行会社を経営したいとは限らない。

それと同じだった。

歌が好きなことと、配信者として生きたいことは別だったのだ。

さらに気づいたことがある。

私は数字そのものにあまり興味がなかった。

もちろん反応があれば嬉しい。

フォローも嬉しい。

応援してもらえたらありがたい。

でも本音を言うと、私は数字が増えることよりも、発見が増えることの方が嬉しかった。

配信後の反省より、

「なんで人は応援したくなるんだろう」

を考えている方が面白かった。

イベントの攻略法より、

「私はなぜ配信をしているんだろう」

を考えている方が面白かった。

気づけば私は、配信者として活動するより、配信という現象を観察していた。

そこでようやく分かった。

私は配信者になりたかったわけではない。

配信を通じて何かを見つけたかったのだ。

人との関わり方。

応援とは何か。

好きなことを仕事にするとは何か。

そういうテーマに興味があった。

だから私は配信から離れたのではない。

配信を研究し終えたのかもしれない。

そして、その研究の結果として分かったことがある。

私は誰かになりたいわけではなかった。

ただ、自分に合う生き方を探していただけだった。

配信はそのための実験だった。

そしてその実験は、十分価値のあるものだったと思っている。


第三章

有名になることは自由になることではなかった

私は長い間、有名になることに少し憧れていた。

歌手。

配信者。

インフルエンサー。

形は何であれ、多くの人に知ってもらうことは素敵なことだと思っていた。

有名になれば自由になれる気がしていた。

好きなことを仕事にできる。

収入も増える。

やりたいことを選べる。

そんなイメージを持っていた。

実際、それは間違いではないと思う。

有名になることで手に入る自由は確かにある。

でも最近になって、別のことも見えるようになった。

有名になることは、自由を増やすことではなく、自由の種類を変えることなのかもしれない。

きっかけは些細なことだった。

私はふと考えた。

もし有名なアーティストが近所の公園で路上ライブをしたらどうなるんだろう。

昔の私は、

「素敵だな」

と思って終わっていたかもしれない。

でも今の私は違った。

人が集まりすぎるかもしれない。

交通の妨げになるかもしれない。

騒音問題になるかもしれない。

安全管理が必要になるかもしれない。

本人はただ歌いたいだけなのに、それだけでは済まない。

そこで気づいた。

有名になるとできることが増える一方で、できなくなることも増えるのだ。

私はずっと、

「自由になりたい」

と思っていた。

でも本当に欲しかった自由は何だったのだろう。

大きなステージに立つ自由だろうか。

それとも、

気が向いた時に歌う自由だろうか。

たくさんの人に見てもらう自由だろうか。

それとも、

誰にも見られずに散歩する自由だろうか。

考えてみると、私は後者の方に強く惹かれていた。

カフェで考え事をする。

思いついたらnoteを書く。

気が向いたら歌う。

そんな何気ない自由に、私は安心を感じていた。

もちろん有名になることを否定したいわけではない。

有名になることでしか見えない景色もある。

手に入る自由もある。

でもそこには必ず制約もついてくる。

そして、その制約は外からは見えにくい。

私はそのことに気づいていなかった。

いや、気づけなかったのだと思う。

なぜなら、その制約は実際にその立場になった人しか完全には分からないからだ。

それは少し不思議だ。

有名になる前は、その自由ばかりが見える。

でも有名になった後は、その制約も見えるようになる。

だから私は思う。

人生は自由を増やすゲームではないのかもしれない。

どの制約を引き受けるかを選ぶゲームなのかもしれない。

静かに暮らす自由には、影響力の小ささという制約がある。

有名になる自由には、見られ続けるという制約がある。

どちらが正しいわけでもない。

ただ、自分がどちらを選びたいかという話だ。

そして私は、自分に問い直した。

私は本当に有名になりたかったのだろうか。

それとも、有名になった先にある安心が欲しかったのだろうか。

考えた末に出た答えは意外なものだった。

私は有名になりたかったわけではなかった。

私は、自分らしく生きる許可が欲しかったのだ。

だから今は思う。

有名になることが幸せなのではない。

自分が引き受けたい制約を選べていることが幸せなのだ。

そしてその視点は、私の人生の見方を少し変えてくれた。


第四章

私は何を届けたかったのか

ここまで書いてきて、私はひとつの疑問にぶつかった。

もし歌手になりたいわけでもなかった。

配信者になりたいわけでもなかった。

有名になりたいわけでもなかった。

では私は何をしたかったのだろう。

何を届けたかったのだろう。

その答えを探そうとして、私は最近の自分を振り返ってみた。

すると、あることに気づいた。

私は歌の話をしている時間よりも、人間の話をしている時間の方が長かった。

なぜ人は悩むのか。

なぜ人は安心したいのか。

なぜ人は誰かを待つのか。

なぜ人は何者かになろうとするのか。

気づけば私は、そんなことばかり考えていた。

歌は好きだった。

今でも好きだ。

でも歌について考えている時より、

人生について考えている時の方が楽しかった。

私はそこで初めて気づいた。

もしかしたら私は、歌を届けたかったわけではないのかもしれない。

もちろん歌は好きだ。

でも歌は目的ではなく、手段だった。

本当に届けたかったのは、その奥にあるものだった。

視点。

発見。

考え方。

私は昔から、答えそのものよりも「どうしてそうなるのか」に興味があった。

完成品よりも過程。

結論よりも観察。

結果よりも発見。

だから私は、誰かの意見を聞いても、

「なるほど」で終わらなかった。

その人はなぜそう考えたのだろう。

その背景には何があるのだろう。

そんなことばかり考えていた。

そして気づけば、自分自身も同じことをしていた。

私は答えを配りたいわけではなかった。

正解を教えたいわけでもなかった。

ただ、

「こんな見方もあるんじゃない?」

を届けたかったのだ。

だから私のnoteも少し変わっている。

恋愛の話を書いているようで、人間観察の話になる。

働き方の話を書いているようで、安心の話になる。

ハムスターの話を書いているようで、生き方の話になる。

出来事が主役ではない。

そこから見つかった発見が主役なのだ。

そう考えた時、私はようやく腑に落ちた。

私は歌手になりたかったわけではない。

思想家になりたかったわけでもない。

ましてや誰かを導きたいわけでもない。

私はただ、人生を観察することが好きだった。

そして、その観察結果を誰かと共有することが好きだった。

だから私は自分のことを「人生研究員」と呼ぶようになった。

少しふざけた名前かもしれない。

でも今の私には一番しっくりくる。

人生を観察する。

発見する。

言葉にする。

そして報告する。

私がやっていたことは、最初からずっとそれだった。

歌も、配信も、恋愛も、仕事も。

全部が研究対象だった。

私は何者かになりたかったわけではない。

私はずっと人生を研究していただけだったのだ。

そう思った時、不思議なくらい肩の力が抜けた。

誰かになる必要はない。

誰かを真似する必要もない。

私は私の研究を続ければいい。

それだけで十分だった。


第五章

誰かの人生を真似しなくていい

人生研究員という言葉にたどり着いてから、私はひとつのことを考えるようになった。

なぜ私は、こんなにも長い間「何者かになろう」としていたのだろう。

その答えは意外と単純だった。

私は自分の人生の作り方が分からなかったのだ。

だから誰かを見ていた。

歌手を見ていた。

配信者を見ていた。

成功している人を見ていた。

自由そうに生きている人を見ていた。

そして、その人たちの人生の中に答えがあるような気がしていた。

あの人みたいになればいい。

あの人のやり方を真似すればいい。

そう考えていた。

でも今振り返ると、それは少し無理のある話だった。

なぜなら私は、その人たちではないからだ。

好きなものも違う。

大切にしたいことも違う。

引き受けたい制約も違う。

それなのに同じ人生を歩こうとしていた。

うまくいかなくて当然だったのかもしれない。

私は長い間、「自由」を探していた。

でも本当は自由を探していたのではなかった。

正確には、自分に合った自由を探していた。

有名になる自由。

会社員として働く自由。

フリーランスになる自由。

好きなことを仕事にする自由。

世の中にはたくさんの自由がある。

でも、それぞれに制約もある。

そして私はようやく気づいた。

どの自由が優れているかではなく、どの制約が自分に合っているかが大事なのだと。

私は大きなステージよりも、小さな安心を大切にしたい。

常に見られる人生よりも、自分のペースで考えられる人生を選びたい。

競争の中で走り続けるよりも、発見を積み重ねながら生きていたい。

そのことを認められるようになった。

昔の私は、それを「逃げ」だと思っていた。

もっと頑張らなければいけない。

もっと上を目指さなければいけない。

そんなふうに考えていた。

でも今は違う。

上を目指さないのではない。

目指す方向が違うだけだ。

私は有名になりたいわけではなかった。

安心して生きたいだけだった。

私は成功したいわけではなかった。

自分らしく生きたいだけだった。

私は誰かになりたいわけではなかった。

私として生きたかっただけだった。

そう考えるようになってから、人生が少し楽になった。

レールを探さなくてよくなった。

正解を探さなくてよくなった。

もちろん不安がゼロになったわけではない。

これからも迷うと思う。

立ち止まることもあると思う。

でも以前とは違う。

今の私は、誰かの地図を探しているのではない。

自分の地図を描いている。

それはとても地味な作業だ。

派手な成功談にもならない。

劇的な逆転劇もない。

でも私は、その地味さが好きだ。

なぜなら、その地図は私のものだからだ。

この報告書のタイトルは、

「誰かの人生を真似しなくていいと気づくまで」

だった。

今ならその意味が分かる。

誰かの人生を真似しなくていい。

なぜなら、自分の人生は自分で作れるからだ。

少しずつでもいい。

遠回りでもいい。

完成していなくてもいい。

人生研究員として観察しながら、修正しながら、生きていけばいい。

そしてたぶん、それが今の私にとって一番自由な生き方なのだと思う。


第六章

七海OSの現在地

ここまで読んでくれた人の中には、

「結局、今はどう生きているの?」

と思う人もいるかもしれない。

私自身もそう思う。

人生研究員という言葉にたどり着いた。

誰かの人生を真似しなくていいと思えるようになった。

でも、それで人生が完成したわけではない。

むしろ逆だ。

ようやくスタートラインが見えただけなのかもしれない。

昔の私は、「安心」を手に入れるために頑張っていた。

もっと働かなきゃ。

もっと評価されなきゃ。

もっと成長しなきゃ。

そうやって安心を獲得しようとしていた。

でも今は少し考え方が違う。

安心を手に入れてから生きるのではなく、安心した状態から生きてみたいと思うようになった。

これは私の中では大きな変化だった。

休むことはサボりではない。

立ち止まることは後退ではない。

何もしない日があってもいい。

そう思えるようになった。

もちろん、今でも忘れることはある。

気づけば焦っている日もある。

誰かと比べてしまう日もある。

将来が不安になる日もある。

でもそんな時、私は以前より自分を責めなくなった。

人生研究員だからだ。

研究に失敗はある。

仮説が外れることもある。

思っていた結果にならないこともある。

でも、それもデータになる。

だから私は最近、自分の人生に対して少し優しくなれた。

うまくいった日も観察する。

うまくいかなかった日も観察する。

全部研究対象だ。

そして今の私を支えているものがもう一つある。

それは発見だ。

私は昔から、発見することが好きだった。

人の話を聞いていても、

「なるほど」

より、

「そういう見方があったのか」

にワクワクする。

だから私は何かを達成した時よりも、何かを発見した時の方が嬉しい。

今日もひとつ発見した。

今週もひとつ発見した。

そんなふうに生きている。

派手ではない。

でも満たされる。

私はこれを、

「発見を食べながら生きる」

と呼んでいる。

たぶん私は、この先もたくさん迷う。

仕事のこと。

お金のこと。

人間関係のこと。

将来のこと。

研究テーマは尽きないと思う。

でも昔ほど怖くない。

なぜなら私は、自分の人生を生きているからだ。

正解の人生ではない。

成功が約束された人生でもない。

でも、自分で選んだ人生だ。

そして今の私は、それを結構気に入っている。

だからこれからも私は観察を続ける。

考え続ける。

発見し続ける。

そして、時々こうして報告書を書く。

この報告書は、その途中経過だ。

完成版ではない。

でも、それでいい。

人生研究員にとって、一番大事なのは結論ではない。

研究を続けることだからだ。

だから私は今日も生きる。

次の発見を探しながら。


おわりに

人生研究はまだ続く

この報告書を書きながら、少し不思議な気持ちになった。

私は最初、この報告書を「歌手になりたかった話」だと思っていた。

でも実際に書いてみると違った。

配信の話でもなかった。

有名人の話でもなかった。

結局これは、「私はどう生きたいのか」という話だった。

振り返ってみると、私はずっと答えを探していた。

何になればいいのか。

何が向いているのか。

どんな生き方が正解なのか。

たくさん考えてきた。

たくさん迷ってきた。

そして今も、正直よく分からない。

これから何が起きるのかも分からない。

人生研究員なんて名乗っているけれど、私自身が研究途中の人間だ。

だからこの報告書も完成形ではない。

現時点での観察記録に過ぎない。

半年後には違うことを言っているかもしれない。

一年後には新しい発見があるかもしれない。

それでも私は、それでいいと思っている。

なぜなら人生は、一度答えを出して終わるものではないからだ。

生きている限り、新しい疑問が生まれる。

新しい発見が生まれる。

そして、そのたびに少しずつ考えが変わっていく。

昔の私は、それを不安だと思っていた。

でも今は少し違う。

変わることは失敗ではない。

研究が進んだということだ。

だから私は、これからも迷うと思う。

遠回りもすると思う。

立ち止まる日もあると思う。

でも、その全部が研究になる。

その全部が人生になる。

そしていつかまた、今回のように報告書を書く日が来るだろう。

その時の私は、今とは違うことを考えているかもしれない。

違う景色を見ているかもしれない。

でも、それも楽しみだ。

人生研究員の仕事は、正解を見つけることではない。

観察すること。

発見すること。

そして記録することだ。

だから私は今日も研究を続ける。

誰かになるためではなく、

私として生きるために。

ここまで読んでくれて、本当にありがとうございました。

また次の研究報告書でお会いしましょう。