台本は作れる。でも帰ってくるのはnoteだった。

最近、B型の作業で台本をたくさん作っている。

気づけば、

「今日は4本できた」 「今日は6本できた」 「今日は8本いけた」

みたいな話をしている。

最初は純粋に楽しかった。

仕組みを作って、 プロンプトを整えて、 量産できるようになっていく。

ゲームでいうとレベル上げとかタイムアタックに近い。

「どうやったらもっと効率化できる?」 「今日は何本いける?」

そんな感覚。

でも、ある日ふと思った。

あれ?

私、台本作るの嫌いじゃない。 むしろ得意。

だけど。

自由時間ができたら何してる?

結局、note書いてる。

台本制作の楽しさは、

「システムが回る気持ちよさ」

だったのかもしれない。

効率化。 改善。 最適化。

私はそういうのが好きだ。

だから台本制作も楽しめる。

でもnoteは少し違う。

noteを書いている時は、

「これ面白いな」

から始まる。

「これ言語化したいな」

になる。

そして、

「これ誰かに届けたいな」

になる。

昔の私は、

「何を作ればいいんだろう」

と考えていた。

でも最近気づいた。

作るものを探していたんじゃない。

もう毎日作っていた。

好きな人の話。

はむっちの話。

安心の話。

働き方の話。

自己理解の話。

人間観察の話。

壁打ちしているだけなのに、 気づけば記事の種が増えている。

だから最近の変化は、

「何を作るか」

ではなくて、

「どう保存するか」

なのかもしれない。

私はコンテンツクリエイターというより、

考えたことの冷凍保存係。

発酵したテーマを見つけて、

「あ、これ記事になるな」

と保存する。

それが案外、一番自然だった。

台本は作れる。

配信もできる。

歌も歌える。

でも、気づくと私はまたnoteに帰ってくる。

たぶんそこが、 私にとってのホームなんだと思う。🌱