手段が目的になると、人は迷子になる

最近気づいたことがある。

人間は、手段を目的に変える天才だ。

しかも無意識にやる。

最初はちゃんと理由があったはずなのに、気づくとその理由を忘れている。

例えばダイエット。

本来は健康になりたいから始める。

身体を軽くしたい。

元気に動きたい。

長く生きたい。

だから食事を見直したり、散歩したりする。

でもいつの間にか、

「何kg減った?」

だけが重要になる。

すると、

健康のために始めたはずなのに、

健康を犠牲にしてまで痩せようとする。

なんだか不思議な話だ。

仕事も似ている。

本当は生きるために働く。

生活するため。

安心して暮らすため。

好きなことをするため。

家族と過ごすため。

そんな理由だったはずだ。

でもいつの間にか、

働くこと自体が目的になる。

休むと不安になる。

何もしていないと焦る。

成果が出ないと価値がない気がする。

気づけば、

生きるために働いていたはずなのに、

働くために生きているような感覚になる。

最近の私は、noteでも同じことをしていた気がする。

考えることが好きだった。

気づきを言葉にするのが好きだった。

だから記事を書き始めた。

でも続けているうちに、

「もっと書かなきゃ」

「もっと投稿しなきゃ」

「もっと増やさなきゃ」

という気持ちが出てくる。

そうすると、

書くことが楽しかったはずなのに、

書くことに追いかけられるようになる。

配信もそうだった。

歌が好きだった。

人と話すのが好きだった。

だから配信を始めた。

でも途中から、

頻度は足りているか。

数字は伸びているか。

休んで大丈夫か。

そんなことばかり考えるようになる。

すると、

楽しむために始めたはずなのに、

続けること自体が目的になる。

面白いことに、

私はハムスターにはそんなことを思わない。

はむっちが回し車を回している。

可愛い。

寝ている。

可愛い。

ご飯を食べている。

可愛い。

そこで私は、

「今日は生産性が低いな」

なんて考えない。

ただ生きているだけで十分だと思っている。

なのに自分には厳しい。

今日は何をした?

何を生み出した?

何を達成した?

そんなことばかり聞いてしまう。

でも本当は、

私だって生きるために生きている。

成果を出すためだけに生きているわけじゃない。

最近ようやく気づいた。

迷子になっている時は、

道を間違えたのではなく、

目的を忘れていることが多い。

そんな時は一度立ち止まって考える。

私は何のためにこれを始めたんだろう。

働くのは何のためだろう。

発信するのは何のためだろう。

健康になりたいのは何のためだろう。

答えは意外とシンプルかもしれない。

安心して生きたい。

好きな人と笑いたい。

穏やかに暮らしたい。

考える時間を持ちたい。

ただそれだけだったりする。

だから最近は思う。

手段は大事だ。

でも人生の主役ではない。

仕事も、お金も、発信も、健康も、

全部、生きるための道具だ。

道具を磨くことに夢中になって、

何のために使うのかを忘れたら、

人は簡単に迷子になる。

そしてそんな時は、

はむっちを見ればいい。

彼女は今日も、

人生の目的を見失うことなく、

全力で回し車を回している。