有名は全てではない

収益化という言葉があんまり好きではない。

昨今、順序が逆になっている人がいるのだ。

売れるために、
稼ぐために、
何かをする。

それでは産物の質が落ちると私は考える。

自分の気づいていないところで光っているものがあると思うのだ。

SNSもそうだが、
バズりを狙って書かれている言葉はとても薄っぺらい。
ありきたりなことをカッコつけて言っているだけだ。

SNSでも収益化ができるから
そのせいでいい意味でも悪い意味でも
たくさんの言葉が流れるようになった。

本当に素晴らしいものは逆に目立たなくなっている。
そして、本人も目立とうとしていない気がする。

そんなふうに感じる。

そして、有名になることを先に目指しては詰まるのかもしれない。

有名になるとは、あくまでも現象に過ぎない。
コントロールはできないのだ。

コントロールできないものを動かすのは不可能であり、
動かそうものならば、
自分の軸を見失う。

有名になることは
キラキラしているようで自由に見えるが
自分を枠にはめる行為なのかもしれない。

自由になりたくて有名になったのに、
生活が縛られてしまう。

みんなの期待に応えたい、と
ハードルを上げる行為なのかもしれない。

私も、実は歌手になりたかった。
しかし、自分で売り出すことと有名になることは
比例していない。

自分の出した作品が評価されなければ有名にはなれず、
とはいえプロデュースされたくはない。

折り合いをつければうまくいくのかもしれないが
私は自分を折りたくなかった。

そして
ある時気づいた。

全世界に届かなくても
聞きたい人だけに届けばいい。

私を必要とする人の元に
私の声が届けばいいと思ったのだ。

これは人それぞれ考え方があるから一概には言えない。

しかし私はそう思った。

そして今もその方法を模索している。

必要な人に届く仕組みを作りたいのだ。

まだまだ考える余地のある問題だ。

これからも考えたい。