安心を探し続けた結果、安心は状態だった
最近、ひとつ気づいたことがある。
私はずっと安心を探していた。
お金があれば安心。
仕事があれば安心。
恋人がいれば安心。
居場所があれば安心。
そんなふうに思っていた。
だから何かを手に入れようとしていた。
頑張って、
働いて、
考えて、
改善して、
そうやって安心に近づこうとしていた。
でも不思議なことに、
安心のために頑張っているはずなのに、
全然安心できなかった。
—
仕事を辞めたあともそうだった。
時間はある。
誰かに急かされることもない。
それなのに、
「何かしなきゃ」
という感覚だけは残っていた。
やることがない。
本当にない。
なのに落ち着かない。
だから私は、
noteを書いたり、
配信のことを考えたり、
新しい企画を思いついたりしていた。
もちろんそれ自体は楽しい。
でも途中で気づいた。
私は何かをしたかったというより、
安心したかったのかもしれない。
—
そんなとき、
うちのハムスターを見ていた。
寝ている。
また寝ている。
起きたと思ったら少し食べる。
少し走る。
そしてまた寝る。
実に自由だ。
誰もハムスターに言わない。
「今日は何を生産したの?」
とも、
「もっと頑張った方がいいんじゃない?」
とも言わない。
ただ生きている。
それだけだ。
でも見ていると、
なんだかそれで十分な気がしてくる。
—
人間は考える。
未来も考える。
不安も考える。
だから便利な反面、
安心まで条件付きにしてしまう。
これができたら安心。
あれが終わったら安心。
もっと良くなったら安心。
でもその「いつかの安心」は、
だいたい来ない。
来たと思ったら、
次の条件が現れるからだ。
—
最近の私は、
少しだけ考え方を変え始めている。
安心は報酬じゃない。
先にもらってもいい。
安心してから動いてもいい。
休んでから考えてもいい。
昼に寝てもいい。
夜に散歩してもいい。
何もしない日があってもいい。
ハムスターが許されているなら、
人間だって少しくらい許されてもいいだろう。
—
安心はゴールだと思っていた。
でも本当は、
スタート地点だったのかもしれない。
今の私は、
そんな実験をしている途中だ。