「抱きしめる」が印象的なフレーズ。「ナハトムジーク」。この曲から色んな想像をしていこうと思う。
ナハトムジーク歌詞1番サビについて
抱きしめる
幾通り いつも通り 強く酷く
触れ合えばわかるから
愛されたいのに いつも通り
間違いばかりの今日をまず愛そうか
あゝ理想だ
上がまず1番のサビの歌詞。
「抱きしめる」「愛されたい」「愛そう」このような歌詞はとてもミセスの他の曲でもたくさん出てくるフレーズ。
「抱きしめる」のは自分自身
私が考えるに、抱きしめているのは自分自身のことだと思う。
心と身体が分離してしまうような酷い世の中で、「ちゃんと心もハグしてあげよう。」という大森さんからのメッセージのように感じる。
「愛されたい」気持ち
人は誰でも「愛されたい」と願う。誰でもいいから誰かに愛されたい、認めてほしい、いわゆる承認欲求のようなものがある。でも日常は変わらない、そんなことがある。
たくさん色々なことが周りで起きるけれど、「まずは自分を、今日の自分から愛そうか。」そう言っているように聞こえるのだ。
そしてその後に「あゝ理想だ」と続く。
淡々と、空を眺めて言うように、「これも、理想だ。」と呟く。
つまり、「今日の自分から愛そうか」と言ってはいるけれど、そんなにうまくいかないことはもうとっくに知っている、とでも言うように。
ただ理想を投げかけるのではなく、「でもこれも理想であって、そうできていればもう変わっているはずだ」、と少しだけ落胆しているようにも聞こえる。
ナハトムジーク歌詞2番サビについて
抱きしめてあげてね
虚ろな日々でも
乱した呼吸を整えて ほら
「愛されたい」は報われるかな?
手を取り 微弱な風に揺られて
無茶苦茶なこの世界を愛そうか
1番と違うのは「愛すこと」に対して前向きであるということ。
1番の落胆を乗り越えてやっぱり「抱きしめてあげる」のだと思う。
未来の自分が過去にいる自分に言葉をかけているようにも見える。
「愛されたい」が報われるのか、その先は誰にも分からないけれどこの世界をまるごと愛してみないか…?と、『理不尽なこと辛いことたくさんある無茶苦茶な世の中をみんなで手を取り少しだけでも希望を持ってみませんか…?』と投げかけているようにも取れる。
ナハトムジークラストから分かること
塵みたいなもんでしょう
勝手に積んできたんでしょう?
いつの日か崩れても
誰のせいでもないよ
歩くのが疲れたの?
むしろ正常でしょう?
全て無駄に思えても
君は正しいんだよ
「研ぎ澄まして」
抱きしめる
幾通り いつも通り 強く柔く
確かなものじゃ無いから
触れ合えど 釦はズレていきますが
愛したい
最期まで信じたい
『生きること全てが無駄に思えても、それくらい辛いことがあっても、その感覚は合っている。自分を信じて、感覚を信じて。』
そしてまた強く柔らかくぎゅっと「抱きしめる」。
「愛されること」は「愛すこと」
「愛されたい」と願う気持ちは「愛したい」気持ちと表裏一体だと思う。
「愛されたい」。だから「愛す」。
誰かに愛されたい、認められたいから、まずは自分自身を愛すことから始める。
そうすると自ずと人から「愛される」のだと思う。
自分自身を愛して自分が好きでいると、それは自信となって満ち溢れて魅力になる。
そうやって進んでいくために「愛したい」のだと思う。
そして「最期まで信じる」
最期の時まで自分を信じる。
この世界は無茶苦茶なことが多いのかもしれない、でも自分自身のことは忘れないで抱きしめてあげる。
『自分を愛してあげて』。
そう大森さんは伝えたかったように感じる。
あとがき
いろんなことが毎日起きるけれど「自分を大切に愛す」。
私も20歳でうつ病になってそれを乗り越えた今、「自分自身を、感覚を大切に生きる」というのはめちゃくちゃ意識している。
体が資本なのだ。
まず自分を愛せなくては人を愛せないと思う。
自分の想い、意思、感覚、感じるもの全部大切に生きてほしい。
私もそれを伝えたくてこのブログを始めた。
まだ2本目で、これからどんな表現をしていくのか想像もつかない。
たくさんの人に想いが届けられるようにもっとたくさん考え尽くしたいと思う。
読んでくださってありがとうございます。
次回もお楽しみに🍀